特定調停の決意
 2000年の秋頃、更に借金に苦しみ、夫に援助してもらえないかと話しました。さすがに夫も幾ら借金があり、どれだけ返済しているのかを聞いてきます。でも、多重債務者の悲しい性で、本当のことは言えずにもっともらしいことを話して言い逃れようとします。借金がどれだけあるのか、本当のことは言えませんでした。翌月から、私は夫へ生活費を渡さなくなりました。夫も初めは催促しましたが、1か月、2か月と経つうちにあまり言わなくなりました。それをいいことに、解決しようともせずに借金は放っておいたまま。その後、知人が副業で収入を得ようとしていることを知り、ダイエット用の高周波機器を25万で購入し、ダイエットと収入の一石二鳥を狙おうとする。しかし、ローンを組めなかった私は知人が勤めていたサラ金でカードを作り借り入れた。知人は何度も、サラ金から借りるのはあまり勧めないと念を押していたが、とにかく収入を得たかった私は思い切ってしまった。この時、初めてサラ金から借金をする。

 夫への生活費の支払いもしないまま、副業で収入を得るべく、講習会に参加したりしたものの、そんなにうまくいくはずもなく挫折。カードも限界がきており、手をつけずにいたサラ金のカードからも借り入れするようになる。返済が済み、限度額に空きができると借りるの繰り返し。
          
 2001年10月、1年ほど私の生活費を負担してくれていた夫に、貯金が底をついたこと、私の実家に行ったことなど言われる。数日のうちに母から電話があり、「また借金しているのか」など聞かれるがごまかす。実家に行ってどこまで話したのかはわからないが、頭にきたものの自分が悪いことなので夫には何も言えず。翌月から生活費を夫に渡す

 もう借りられるアテもなく、文字通り首が回らなくなり、ネットで解決法を探す。借金関連で検索したところ、おどろくほどヒットする。多重債務の方のサイトを見て胸が痛み、私にとっての解決法は個人再生か債務整理しかないと知るこの時点で特定調停は、あまり気が進まなかった。自分で債権者たちと話し合うなんて、とてもできないと思っていたから。個人再生は住宅ローンを抱えている私に合った方法だったが、過去10年内に破産したことのない人が条件だったので、無理だという結論に至る。
 債務整理なら、自分の収入内で何とかなりそうだと思い、県内のクレサラの弁護士を紹介してもらい、後日、面談に行くことにする。

 2001年12月6日、みぞれが降りしきる中、市内まで車を走らせる。弁護士との面談で散々なことを言われ、債務整理は時間もかかるし意味がない、個人再生しかないから夫に話して書類を持ってくるように言われる。もちろん過去に破産したことがあるなど言えるはずもなく、目の前が真っ暗になり、途方に暮れたまま帰宅し、ネットで再度特定調停について調べる。

 自分で債権者と向き合い、調停委員を交えて交渉する・・特定調停のシステムを知れば知るほど、自分には無理なのではないかという不安が大きくなる。でも、もう自分に残されているのは調停しかない。覚悟を決めて、準備に取り掛かる。



 

                                 


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