1986〜1993年 借金人生の始まりと転落


 初めてクレジットカードを持ったのが20歳頃のことでした。当時は、計画的にカードを使い、無理のない返済と買い物ができていました。自宅暮らしということもあり、借金もなし。
 22歳の頃、転職し、収入も以前より安定し、手取りで11万ちょっともらうようになりました。この頃から洋服を買いあさるようになりました。それに伴い、新たにカードを作り、リボ払いにして返済をしていくように。

 借金はどんどん増えていきましたが、あまり危機感がなく買い物を続けていました。そのうちに返済が厳しくなりキャッシングで返済していくように。初めてお金を借りる時、とても緊張したのを覚えています。が、回数を重ねるうちに罪悪感もなくなり、借りては返すを繰り返すように。返済額はあっという間に給料を超えました。ボーナス払いもしていたものの、ボーナスの金額をはるかに超え、更に借りては返すの繰り返し。当時は今のように銀行のATMで普通の預貯金のように引き出すことができず、カード会社が設置している所まで行かなくてはなりませんでした。そのため、返済日が近づくと車で1時間ほどかけてキャッシングをするために出かけていました。周りに人がいないのを見計らい、クレジットのATMから借金をし、何とも言えないミジメな思いをしていました。

 いよいよ自転車もこげなくなり、思い余って母親に話しました。でも、自分が作った借金だとは言えず、最低なことと思いつつウソをついてしまいました。驚いた母親は父と相談して、父が後日、銀行から50万ほど借りてくれました。でも、とても間に合うような金額ではなく、ボーナス払いや月の返済などで消えていきました。当時、自己破産が増えつつあり、新聞などでも耳にする機会が多くなり、私にはこれしかないのではという思いがありました。たまたま地元新聞に自己破産の記事と共に、県内のクレサラの対策委員の会長として名前が載っていた弁護士の先生の名前が載っており、切り抜きを取っておきました。

 その当時は誤った情報が多く、雑誌などに「自己破産すると選挙権がなくなる」などの誤った内容が堂々と掲載されており、当時、交際していた現在の夫と結婚話も出ており、どうしても踏ん切りがつきませんでした。もう私ではどうすることもできない金額に借金は膨らんでいましたが、田舎勤めの田舎住まいで周りの同僚も同じ町内ということもあり、保身のことで精一杯でした。でも、親にも言えず、ただ悩み借りては返すの繰り返し。

 それから数ヶ月後の春のある日、帰宅した私に母が「クレジット会社から引き落としできなかったから、入金しておくようにと電話があった。まだ借金があったのか」と聞いてきました。その時になり、やっと自己破産しようと思うことを打ち明けました。もはや選挙権がなくなるなど言っていられる状況ではなくなっていました。それからは行動に移すのが早かったです。取っておいた新聞の切り抜きに載っていた弁護士事務所に電話をしアポを取り緊張しつつも面談に行きました。その際、自己破産について誤った情報が流れているが、世間一般で言われているようなことはないし、この先、破産したことで制限を受けることもない、結婚する相手にも言う必要などないことなどを先生に言われて、肩の荷が下りました。自己破産ということで進めることになり必要書類を整えて再度、弁護士事務所に行き、受任していただきました。当時で費用は10万円でした。

 債務額は当時で400万くらいだったと思います。本当にバカなことです。ほとんどが買い物だったため、免責が下りないのではという不安もありましたが、先生は大丈夫でしょうということでした。洋服などは二束三文なため、債権者も引き上げてもどうにもならないとわかっているからとおっしゃっていました。ただ、1社から苦情の電話が先生のところにかかってきたそうです。

 その後、1か月ほどして裁判所から呼び出しがあり、係官の方に簡単に今までの経緯を確認され、最後に「債権者の方に何か言いたいことは」と聞かれて「申し訳ありませんでした」と答えるのが精一杯でした。その間、数分ほどで、廊下の長いすに係官の方と私と座って話したのを覚えています。今は、そんな簡単なことではないと思いますが、当時は本当にあっさりとしたものでした。

 その後、結婚し、職場結婚だったため、私は他の職場に移動しました。それから更に2か月ほどして、裁判所から免責が下りたという通知が届きました。そしてその1か月後、結婚しました。



      



        

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